戦中~戦後すぐ (初代家元 玉城盛義)
玉城流玉扇会は初代家元玉城盛義により昭和20年、宜野湾市野嵩に琉舞研究所を設立し、昭和27年、那覇市樋川に研究所を移しました。翌昭和28年、玉城盛義琉舞研究所を玉扇会と命名し、昭和38年、玉扇会設立10周年記念公演で玉城流と名乗り琉球古典舞踊の保存と継承に尽力し多くの舞踊家を育て上げました。
本土復帰返還~平成へ (二代目家元 玉城秀子)
昭和46年、玉城秀子が二代目家元を襲名し、伝統ある沖縄県の芸能文化の継承発展を目的とし、昭和52年、『第一回古典七踊りを観る会』を開催。以降現在まで多数開催。また次代を担う後継者の育成を目的とした、『若みんなの会』(幼児~中学生対象)、芸能コンクール受賞者対象の『ゆらてぃ遊ば』、男性舞踊家による『古典七踊りの会』を企画・制作し、県内はもとより県外・海外で積極的に活動をすることにより、舞踊家の活躍の機会の増加、公演の質の向上を目指してきました。
平成~令和、そして未来へ (三代目家元 二代目玉城盛義)
平成23年、秀子の長男大田守邦が玉城流三代目、二代目玉城盛義を襲名。舞踊、組踊を始め沖縄芝居、沖縄歌劇さらには現代劇やCM出演する等、幅広く活動を展開すると共に、平成24年には「二回目の独演会(沖縄、東京)では古典舞踊を中心に構成し、その舞台が評価され平成24年度文化庁芸術祭舞踊部門優秀賞受賞。その後も玉城流玉扇会『組踊の会』を開催するなど二代目とともに拡張高い伝統文化を沖縄から発信するべく積極的に取り組んでいます。